冬菫

 ふわり、と湯気が舞う。淹れたての温かい緑茶といくらかの菓子。ほんのささやかな、午後のひと時。
「お茶のお代わりは、如何ですか?」
 ふと、泰花が理人に問う。理人は静かに湯飲みを差し出した。
「……ありがたい。」
「はい、どうぞ。」
 ことり、と急須を置く音だけが聞こえる。静かな静かな冬の桜咲荘。ことに今朝は雪が降った。雪は全ての音を吸い込んでしまう。
「春が待ち遠しゅうございますね。今朝は本当に寒くて驚きました。私の実家では、雪など滅多に降りませんでしたものですから。」
 泰花が見やれば、窓の向こうに枝を広げる桜の大樹には満開の花の様に雪が積もっている。理人も読みかけの文庫に栞を挟み、倣ってそれを見やった。
「理人さん。」
「……何だ?」
「この半年と少しで、随分丸くなられましたね。ふふ。」
「そうか……?」
「ええ、とても。まだお会いして間もない頃は、私が外を眺めていても、読書を中断して応じて下さることはありませんでしたもの。」
 そう話す泰花の表情は、何時に無く柔らかい。理人はそんな泰花を一瞥すると、再び外へと目をやった。すると、小さく、ふふという声がした。
「そうでした、理人さん。」
「……どうした?」
「今度、依頼に赴かれるのですよね。確かそれでお役立て頂けそうなものを見つけて……。」
「ああ……探さずともいい。気持ちだけ貰おう。」
 立ち上がりかけた泰花の手を、理人が軽く引いて制した。
「まあ、ですが……。」
「私の役に立つなら、泰花にも役に立つのだろう。とっておけ。」
「そうですか。そう仰いますなら……ありがたく。」
 座りなおしながらくすくすと笑う泰花の声が、少し褪せた畳にこぼれる。
「……冬菫、か。」
「はい……?」
 唐突な言葉に、泰花は小首を傾げた。しかし理人は構わずに続ける。
「そなたを見ていて、そう思った……雪を割り咲く、菫と。」
「雪割り菫、ですか……そのように逞しくあれたら、良いのですが。」
「初夏に咲くはずの菫が、秋も冬も変わらずに微笑み咲き、温かな気持ちを届けてくれる……。」
 ことり、湯飲みを置く音が卓袱台に響く。
「ああ、ならばそなたは、かつての巫女にも良く似ている……。」
「花枝さんに……?」
「そう。よく笑い、よく気にかけてくれ……その癖、自分自身のことには少し鈍いところなど。」
「まあ、理人さんたら……。」
 くすくすと軽やかな声で泰花が笑う。理人も、少しだけ目元を緩ませた。
「……さて、また邪魔させてもらうとしよう。馳走になったな。」
「いいえ。私も久しぶりに二人で過ごせて良うございました。こうしてゆっくりできましたのも、半年振りでしたものね。またいつか、機会がありましたら。」
 泰花は立ち上がって、理人を玄関まで見送る。藍色の狩衣の背が階段の影に隠れてから、扉を閉めた。
「冬菫……それでは理人さんは、花守りの蜘蛛ですね。折に触れて、私や皆さんのことを案じて下さるのですから。」
 ひとり、ぽつりと呟く。

 桜木の枝が軋んで、積雪が俄かに零れ落ちた。

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あとがき。
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2010年第1弾のSSは、理人さんと泰花ののんびりした作品となりました。
前日に突発的に書きたくなってそのままつらつらーっと書いたものです。
静かで落ち着いた理人さんとお嬢様でのほほんとした泰花とふたりで語らっている場面って、一度書いてみたかったんですよね。
いつも賑やかなみんなの間にいるときとはまた違った長閑な時間が流れるだろうなぁと思っていたらその通りでした。ほんとうにのんびりしたSSになりました。
まだまだ書いてみたい組み合わせはたくさんありますから、追って挑戦してみたいと思います。のんびりお待ち下さい。

ではではでは、月城まりあでした。

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