美術室の奥で

銀誓館学園に編入してから数日が経ったある日の放課後――。

「それでは申し訳ないけれど、今日もお先に失礼しますね。」
「はい、また明日お会い致しましょう、光鈴さん。」
「ところで、結社にはもう慣れた?」
「はいっ、皆さん温かい方が多くて…入団申請を受理して頂けて、本当に良うございました。」
「そう、なら良かったわ……それじゃあ、申し訳ないけれど、また。」
「はい、またお会いしましょう。お疲れ様です。」

このところ光鈴さん(b47320)はお忙しいご様子で、授業が終わると急ぐように帰ってしまわれます。
私にも何かお手伝いできることがあれば良いのですが…何も無さそうなのが少しばかり残念です。

光鈴さんを見送った後の私はここ最近、美術室に立ち寄ってから結社へ参上するのが日課となっております。学生鞄に荷物を仕舞い終えると、真っ直ぐ美術室へ歩いていきます。
実はあれから改めてお屋敷をご訪問させて頂いた折に、結社「刹月の光鍵」へ入団させて頂けることになったのでございます。
結社の団員の皆さんはお屋敷の荘厳な雰囲気と違って柔和な、またお屋敷の優しく美しい庭園に似て綺麗でお優しい方ばかりです。
能力者としても学生としても新参者である私を快く迎え入れて下さった事は、本当に嬉しく、またほっとするものでございました。

(「…と、ここですよね、美術室。」)

教室の入り口にかかっている「美術室」の文字を見上げて確かめてから、扉を開けて静かに入室します。
というのは時折、どなたかがキャンバスに向かって絵を描かれていることがあるからです。そのお邪魔をしてはなりません。

この学園の美術室には、信じられないほど多くの絵画作品が収められております。
同じ遠古鴫キャンパス内の小学1年生から高校3年生までの学生の肖像が見られるばかりか、遠古鴫キャンパス以外の学生を描いたものや、果ては卒業生の先輩のものまで……一体どれ程の作品が保管されているのか、見当もつきません。
私は日が沈み始めて結社に向かうまでの時間、ここでその作品の数々を拝見するのがとても好きなのです。
難しい物理や数学の授業の時なども時々、偽身符を用いてこちらへ……いえ、何でもありません。

西日の差し込む室内で、今日も先生に一言ご挨拶をしてから収蔵されている作品を拝見させて頂きます。
蒔絵の様に美しい和装姿の殿方の肖像、写真かと見紛う程よく描かれている真っ赤なランドセルを嬉しそうに背負う愛らしいお嬢様の絵、枠一杯に描かれたはみ出んばかりの笑顔、唸る様に頭を抱え込んでいるコミカルタッチな後姿……。

(「どれも素敵…私もいつかは描いて頂けるかしら? ……あら?」)

不意に視界に入ったのは美術室の奥まった一角、小さなカードのような大きさのものがこれまたたくさん保管してあるらしき場所でした。
収納された場所から僅かに覗くその縁には皆共通の柄が使われており、それは私の持つイグニッションカードの台紙と同じもの……。
きっと、美術科の先生はご存じ無いのでしょうが、あれは間違いなく、銀誓館学園の能力者が持つイグニッションカードの意匠を保管しているのでしょう。
それらは心なしか他の作品よりも人目を憚るように、ひっそりと収蔵されているような気も致しました。
私は他の方のイグニッションカードの意匠をまだ拝見したことがございませんでした故、是非とも拝見させて頂こうと、そちらへ近づいていきました。
美術の先生も幸いなことにご自身のお仕事に専念されており、特に気付くご様子もありません。私は一度だけ先生を振り返り、内心でほっとため息をつくと再び静かにそちらへと向かいました。

あまり陽も当たらない場所で、私はそっとそのうちの手に持てるほどを左手に乗せ、一枚ずつ順番に拝見することに致しました。
術扇を舞う様に構えた儚げな印象の少女、漆黒のガンナイフを二丁手にした快活そうな少年。また符を手に眼前を見据える、符術士と思しき方のものも見られました。
そして私は、次に目にした魔剣士の意匠に釘付けになってしまいました。

それは長く麗しい御髪を風になびかせ、二振りの刀を構える殿方のお姿が描かれたものでした。
髪と同じほどに黒い御衣を纏い、真っ直ぐに前を見据えるその眼差しは鋭く。
今にも動き出しそうな躍動感あふれるそのお姿は、強くしなやかで美しく。
清らで凛とした雰囲気は、ただそれだけで邪なる存在を圧倒するのではないかと思われるような……。

(「このようなお方が…このような殿方が、この学園に、いらっしゃるのですね……!?」)

刹那、私の胸に湧き上がった、今までに感じたことも無い不可解な衝動。

(「ならば是非このお方にお会いしてみたい……いいえ、お会いして、お話ししたい――!」)

同じ銀誓館学園の者ならば不可能ではないはず、良かった、と……そこまで考えて、ふと思考が固まりました。
ここにイグニッションカードの意匠が収められているとはいえ、かの殿方が必ずしも「今も銀誓館学園の学生である」という保証は無い――既に卒業なされた方である可能性もあるのだと、思い出したのです。
突如沸き立った思いから一転、急速に体が冷えていくような気が致しました。
この学園の卒業生は、既に数多くいらっしゃいます。その中からこの方お一人を探し出すのがどれ程至難であるかは火を見るよりも明らかです。
いかに図書館で全ての学生・卒業生を検索できるとしても……。

「……あの。」

私がついたため息に、思わぬ返事がありました。驚いて声の主を探せば、それはいつも美術室でお会いする小学生の女の子、御鏡・更紗(白き娘・bn0014)さんでした。お話をお伺いする限りでは早坂キャンパスにいらっしゃるはずなのですが、何故か美術室を訪ねた時にお会いしなかった日は無いという、不思議なお方です。
確か彼女も能力者だったはず……そう思い出した私は、彼女を此方へ手招きして小声で尋ねることに致しました。いつもいつも美術室にいらっしゃるなら、ひょっとしたら何かご存知かも知れないと、淡い希望を抱いて。

「恐れ入ります、御鏡さん。このカードの意匠は、どなたの物かご存知ありませんか?」

うっかりでも一般人である先生に気付かれない様、何のカードかは口にせずに注意して尋ねます。
彼女は私の手元を暫し眺めてから、恐らく、と前置きした上でお答え下さいました。

「……一縷木キャンパスの昨年度卒業生だったはずです。」
「そうですか……ありがとうございます。お手数をお掛け致しました。」

私はカードをもう一度眺めた後、お礼を述べてからそれらをもとあった様に戻し、そこから出ました。
御鏡さんは暫くの間私を見て少し不思議そうになさっていましたが、すぐにまた別のほうへ戻っていかれました。

私は再び先生にご挨拶してから美術室を後にすると、結社へ向かおうとして、立ち止まりました。

(「お教え頂いたお名前を忘れないうちに、図書室へ向かったほうがいいかしら…?」)

図書室の受付にある端末からは、過去から現在までに在籍した全ての能力者の名簿を検索することが出来ます。当然、かの殿方のことも分かるでしょう。
お姿を描かれた絵画一枚であれ程に惹きつけられ、不可解な衝動さえ抱いた不思議な殿方……彼は一体どの様なお方なのでしょうか。
そこまで考えた頃には、自然と足が方向を変え、図書室へと歩き出しておりました。

          *          *

「――で、何か良い事があったのかしら?泰花。今日は何だかふわふわしているわよ、うふふっ♪」

帰宅後、まりあさんとご一緒にお夕食にしている最中のこと。
それまで暫く私を観察するかのように眺めていらしたまりあさんが、不意にいたずらっ子のような笑顔を浮かべてそう仰いました。

「ひょっとして、誰か好きな人でもできたの?」
「えっ!? そ、そのような訳では……!」
「あら、図星? そんなに慌てちゃって…可愛らしい。」
「あの…まっ、まりあさん!? わ、私はまだ、何も……!」
「その火照って赤くなっている顔にばっちり書いてあるような気がするんだけど? ふふっ。」

言われて慌てて両手で頬に触れると、いつの間にか熱を帯びています。
そんな私を見て、まりあさんはもう一度小さく笑うと、わかったわかった、と困ったように仰いました。

「要するに、片想いな訳ね。あるいは、一目惚れかしら?」
「ええと……その、まだお会いした訳ではありません。それに、少し気になってしまうだけで……。」
「そっかそっか、ふふっ。……まぁ、恋かどうかはさておき、よかったらどんな方なのかお聞かせ願おうかしら?私も興味があるわ。まだ会ってもいないうちから泰花が気になっちゃうなんて、どんな人なのかしら。」

……何だか、まりあさんには敵わない様な気がして参りました。
でも不思議なことに、心の片隅では、まりあさんにお話したい気持ちもあるのです。

そして結局、その晩は就寝時間までずっとその話題で持ちきりでした。
話せば話すほど、嬉しいような、恥ずかしいような気持ちは膨らみ、お会いしてみたいという願いは募ります。
何故だか、消灯後もすぐには寝付くことが出来ません。

(「……光鈴さんにも明日、ご相談させて頂こうかしら? ご存知かどうかは分かりませんが…。」)

そう決めた後、私は眠れない目を強引に閉じ、ゆっくりと羊を数え始めました。

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あとがき。
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こんにちはこんばんは、またはおはようございます。
初めての方は(いらっしゃらないような気もするけれど)初めまして。月城まりあです。

今回の話は思ったより長くなりました…本文も勿論、推敲時間も。
出演者数はそう多くないのだけれど、美術室での泰花の動作を細かく書いたせいと、その「会ってもいないうちから泰花が気になっちゃう」方へ、最大限配慮しながら書かせて頂いた為です。
出演許可を頂いた訳ではないので、ご本人を特定できるような書き方をしないように……とか
泰花が気にかけているのは事実でも、もしご本人が読まれた際に不愉快になる描写になっていないか(自分が逆の立場だったらこう書かれていたらどう思うのかな?って考えもして)……とか。

そんなわけで多分一番書き直しの多い話になるんじゃないかしら??と思います。
恋にせよ何にせよ、自分が創り出したのではない他者へ向ける強い感情が絡むことは、実際に当事者になっても、物語として書く立場になっても、何よりも群を抜いて一番気を使います。

……で、泰花が気にかけているということは、そのプレイヤーである私はどうなんだ?という話。

勿論、興味のあるキャラクターさんです。
元々私は「運動や武術が半端なく強くて黒髪スーパーロングストレートヘアの青年」キャラに惚れやすいらしく、今回も全く例外ではありません。
プレイヤーとして直接キャラクター宛てにファンコールしたいくらいですとも、ええ!
……当然PBWの世界観を壊しちゃいますからやりませんけど。

実はこのお話を執筆している2009年2月22日時点で何度か泰花とお手紙のやり取りをして下さっているのですが、PBW初心者のプレイヤー&低レベルキャラクターなので、お手紙でのやり取りやゴーストタウンにお連れ頂いた時に果たして彼のプレイヤーさんへご迷惑をお掛けしていないのかが心配です。
もしそのようなことがありましたら、この場を借りてお詫び申し上げます(滝汗)

さて、次は泰花が初めて受けたリビングデッド退治の依頼のことを書こうかと考えています。
ただ、今週末に引っ越しを控えているので、公開は3月にずれ込んじゃうかも知れません。悪しからずご了承下さい。

それでは、今回はこの辺で失礼致します。
暖房を焚いているのに何故だか背筋の冷える、月城まりあでした〜。

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